相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者など46人が殺傷された事件から26日で2年になるのを前に、殺人などの罪で起訴された元職員・植松聖(さとし)被告(28)の手記などをまとめた本が出版された事が話題となっています。
この記事では「やまゆり事件」についてや植松被告についてまとめていきます。
TOP画像引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180722-00000041-asahi-soci目次
「やまゆり事件」とは
https://ringosya.jp/tsukui-yamayurien-kanagawa-sagamihara-satsujin-36358事件名としての正式名称は「相模原障害者施設殺傷事件」となります。
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の植松聖被告(当時26歳)が侵入し、所持していた刃物で入所者19名を刺殺。
入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた、「戦後最悪の大量殺人事件」として日本社会に大きな衝撃を与えました。
植松被告は施設に侵入後、鉢合わせした職員らに「障害者を殺しに来た。邪魔をするな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ返事がない入居者らを狙って次々と刺していったと言われています。
取り調べに対し、植松被告は、「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めた上で、「障害者なんていなくなってしまえ」と確信犯である持論を供述しています。
本事件は今後裁判が進められる予定ではありますが、被害の大きさ・証拠量の膨大さから、公判前整理手続きが長期化すると見られ、初公判が開かれる見通しは立っていません。
刑事裁判では、検察側の死刑求刑が確実視される一方、弁護側は植松被告が犯行当時心神喪失状態だったとして、無罪を主張する可能性もあるため、注目を集めています。
事件のあった「津久井やまゆり園」とは
http://arm-pit.net/yamayuri/事件のあった「津久井やまゆり園」は、神奈川県が1964年から設置している知的障害者施設です。
最寄り駅が施設から東に2kmほど離れた相模湖駅となっており、周囲も山に囲まれた相模川に面する穏やかな住宅地のようですね。
入所定員は事件当時、長期入所者150人、短期入所者10人の計160人で、同日入所していたのは19歳~75歳までの長期入居者が149人(男性92人、女性57人)。
全員が障害支援区分6段階のうち、重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)でした。
園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人を配置し、園の正門・居住棟の入り口はきちんと施錠がされていました。
また、建物内に入ったとしても、各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるマスターキーに関しては職員ですら持っていませんでした。
園には警備員が常駐していましたが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったといいます。
職員数は当時164人、業務形態を見ると12時間勤務で時給は905円。
なんとも好環境の職場とは言い難い形態ですね…
植松聖被告のプロフィール
https://matome.naver.jp/odai/2146960319854545001本名 | 植松 聖(うえまつ さとし) |
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生年月日 | 1990年1月20日(34歳) |
出身地 | 東京都日野市 |
職業 | 無職 |
植松被告は図工教師の父親と漫画家の母親の間に一人っ子として産まれました。
津久井やまゆり園からわずか500mほどの距離である自宅に引っ越し、学生時代は勉強もできる優しい少年だったそうです。
しかし、高校時代には同級生を殴って転校した経験があったり、小学校教諭を目指して入学した帝京大学在籍時には刺青を入れていたことが明らかになっていたりと、少しずつ性格は歪み、豹変していきました。
大学時代には植松被告は「強い人間」に憧れてナイトクラブに通い、2010年頃には大麻や薬物にまで手を出すようになってしまっていたそうです。
卒業後から数々の職を転々とした後に津久井やまゆり園で勤務をはじめましたが、両親はこの辺りで喧嘩も絶えず耐えられなくなり、揃って東京都のマンションに引っ越したと言われています。
勤務態度は非常に悪く、入居者への暴言や暴行を繰り返していたりと改善の兆しが見られなかったため、2016年に退職しています。
衆議院議員長に犯行予告の手紙を渡していた
https://www.huffingtonpost.jp/2016/07/28/sagamihara-hitler_n_11234966.html2016年2月半ば、植松被告は衆議院議員長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森氏に宛てた手紙を職員に手渡したそうです。
手紙の内容は犯行予告ともとれる文言で、厚木市内の障害者施設の2施設が標的として指名されており、
「職員の少ない夜勤に決行」、「職員には致命傷を負わせず、結束バンドで拘束して身動きや外部との連絡を取れなくする」、「2つの園260名を抹殺した後は自首する」など、具体的な手口が記されていました。
そして、「作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます」として、「逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせる」「心神喪失による無罪」などと様々な条件を勝手につけ、
その上で「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します」と綴られていたそうです。
この辺りでは既に植松被告の言動は異常性を増しており、同級生らにLINEや電話などで犯行計画を打ち明けたり、共犯者になってほしいと誘ってきたと言われています。