東京・秋葉原の無差別殺傷事件から8日で事件から10年が経ちますが、犯人である加藤智大死刑囚の家族などは現在どうしているのでしょうか。
今回は事件の詳細や関係者の現在についてまとめていきます。
TOP画像引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180607-00000092-asahi-soci目次
秋葉原無差別殺傷事件とは
http://lacan-msl.com/akihabara/秋葉原通り魔事件とは、2008年6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。
7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。
元自動車工場派遣社員の加藤 智大の運転する2トントラックが中央通りとの交差点に赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。
周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、
道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していたダガーで立て続けに殺傷した。
さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。
事件発生後まもなくして駆けつけた警察官が距離を詰め、最後には拳銃を加藤に向け、武器を捨てるよう警告、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。
それに応じダガーを捨てた加藤を取り押さえ、現行犯逮捕した。
これらはおよそ5-10分間ほどの間の出来事だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/秋葉原通り魔事件
事件当日は日曜日で、犯行のあった中央通りは歩行者天国になっていたそうです。
多くの人々でごった返しているさなかの凶行であり、事件直後の現場は多くの人々が逃げ惑い、戦場のような惨劇になっていたようです。
この事件を機に秋葉原の歩行者天国は当面の中止を決定、現在は毎週日曜の12時から17時(4月以降は18時)までの時間限定で再開していますが、実施区間は従来より200メートルほど短縮されています。
通り魔事件としては過去30年で最悪の事件となりました。
事件当時のニュース動画
加藤智大死刑囚のプロフィール
http://egaoq.hatenablog.com/entry/2016/08/01/034309本名 | 加藤 智大(かとう ともひろ) |
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生年月日 | 1982年9月28日(42歳) |
出身地 | 青森県五所川原市 |
職業 | 無職 |
加藤智大死刑囚がなぜこんな凶行を、という話をする際、「教育熱心で有名な母親のもとに生まれてしまったことが原因だ」とよく言われています。
母親は県下一の進学校を卒業した、教育熱心な母親だと大変有名だったそうです。
加藤死刑囚は幼少期から、異常過ぎるほどに厳しく育てられました。
常に完璧を求められた加藤死刑囚の性格は次第に歪み、ネットの掲示板にのめりこむようになったようです。
その掲示板をなりすましで荒らされた時に孤独を感じ、通り魔事件を起こすことを決めたとのことでした。
度重なる裁判の結果、2015年2月17日に「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない」として、死刑が確定判決となりました。
加藤智大死刑囚の歪みは母親の異常な教育が原因か
https://twitter.com/・ゲームは週に1回土曜に1時間だけ
・漫画・雑誌は読めない
・九九を間違えると風呂に沈める
・泣くと口にタオルを詰める
・2Fの窓から落とそうとする
・友達の家に遊びに行くのも、自宅に呼ぶのも禁止
・恋愛禁止
・見ていいテレビ番組は2つだけ(ドラえもんとまんが日本昔ばなし)
・10秒ルール:絵や作文を母が検閲し、10秒以内に質問に答えられないとビンタ
・作文を1文字でも間違えると全て書き直させる
・泣くたびにカードにスタンプし、10個揃うと蒸し暑い屋根裏部屋に閉じ込める
・青森の寒い雪の中を下着姿で何時間も立たせる
http://zoot.blue/news20161026-1/
週刊現代6/28号「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)から引用します。
加藤智大容疑者が中1の時である。
『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、
その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、
「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。
アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』
父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている......
http://lacan-msl.com/akihabara/
母親の求める完璧で優秀な息子になろうと頑張る加藤死刑囚でしたが、次第に心に闇が生まれ、高校時代には成績も低迷、母に暴力を振ったり教室の窓ガラスを素手で割ったりするようになってしまったようです。
母親から受けた暴力を母親に返すだけでは勿論傷が癒えることはなく、こうして大きな事件を起こす火種となってしまいました。