1995年に起きた地下鉄サリン事件ですが、事件に関与していた死刑囚14人のうち7人の死刑が、6日に執行されました。
この記事はその地下鉄サリン事件を含めたオウム真理教の「三大事件」についてまとめていきます。
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地下鉄サリン事件とは
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/3939正式名称 | 地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件 |
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日付 | 1995年3月20日 |
場所 | 東京都・帝都高速度交通営団(現東京メトロ) |
標的 | 丸ノ内線・日比谷線・千代田線の乗客および乗員・駅員など |
死者 | 13人 |
負傷者 | 約6,300人 |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/地下鉄サリン事件 |
地下鉄サリン事件とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件のことです。
宗教団体の「オウム真理教」によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、死者を含む沢山の被害者が出た、国内外に影響を与えた最悪で最低なテロ事件です。
午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、)の丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人にも登りました。
各実行犯は、500〜600gの溶液(内サリンは35%程度)の袋詰めを2つ、一部では3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使って袋を数回つついて下車。
それぞれの犯人が、共犯者の用意した自動車で逃走しました。
この事件は麻原彰晃が首謀、村井秀夫が総括指揮を担当、そして井上嘉浩が現場調整役を務めたものと明らかになっています。
また、サリンは土谷正実・遠藤誠一・中川智正が生成したものが使われたそうです。
事件から2日後、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施。
事件への関与が判明した幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供が切欠で全容が明らかになりました。
5月16日には教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕され、地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及びました。
「毒ガスだ、逃げろ」被害者の語る事件の記憶
https://dot.asahi.com/wa/2015031800061.html普段と何ら変わらない、晴れ渡った朝でした。
出勤するため、午前7時くらいに自宅を出て、日比谷線の北千住駅で席に座り、
車内ではスポーツ紙で好きなプロ野球の記事を読みながらウトウトしていました。
日比谷線の人形町駅か八丁堀駅を過ぎたころ、何か2回くらいドスンというような音がして、目が覚め、車内を見回したら、
左斜め前に立っていた初老の男性がいきなり、のど元に手を当て、体を硬直させながら後ろ向きに倒れた。
2メートルくらい離れたドアの近くには水たまりのようなものがあった記憶があります。
車内にはシンナーのようなにおいが漂っていて、クラクラした気分になった。
キャーという女性の悲鳴も聞こえた。
スーツ姿のサラリーマンが、ハンカチを口に当てながら、
ドアの近くにあった非常通報ボタンを押して、電車は築地駅で緊急停止した。
「毒ガスだ、逃げろ」という声が聞こえ、乗っていた人たちは、ドアをこじ開け、一斉に走りだした。
私も駅の外へ逃げようと全力で走ったが、階段を上っている途中で、足が動かなくなった。
四つん這いになって地上を目指した。
https://dot.asahi.com/wa/2015031800061.html?page=1
埼玉県越谷市で暮らし、朝の出勤で電車に乗り合わせた石橋毅さん(51)は上記のように語りました。
石橋さんはその後、乗り込んだタクシーで意識不明に。
そのまま病院の集中治療室まで運ばれ、数日後に退院しました。
しかし、サリンの影響なのか身体に不調が起き、誰かに付けられているような妄想に取り憑かれてしまった石橋さんは事件の半年後に仕事を退職されたそうです。
石橋さんのように仕事や外出で電車に乗り合わせ、死亡した方の遺族が、また、被害を受けて今でも後遺症に苦しむ被害者が、まだまだ沢山居ます。
オウム真理教教祖・麻原彰晃とは
https://yot-portfolio.com/?p=1360本名 | 松本 智津夫(まつもと ちづお) |
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生年月日 | 1955年3月2日(63歳没) |
出身地 | 熊本県八代郡金剛村(現八代市) |
職業 | 宗教家・テロリスト |
ホーリーネーム | マハー・グル・アサハラ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/麻原彰晃 |
麻原彰晃、本名:松本智津夫は日本の宗教家であり、テロリストとされています。
宗教団体アレフ(元オウム真理教)の創設者及び代表であったことで有名ですね。
麻原は畳職人の貧しい家に生まれましたが、片目が先天性の緑内障で失明していたため寮のある熊本県立盲学校に出されたのだそうです。
全盲の生徒が多い中で片目が見える彼は、同級生相手に恫喝することもあったそうで、幼い頃からその凶暴性は見えていました。
熊本県立盲学校を卒業後は上京し、鍼灸師免許を取得し、予備校で出会った松本智子さんと結婚。
千葉県船橋市に住み鍼灸院を経営していましたが、やがてヨガ教室を開きます。
これがオウム真理教の前身であり、この時から「麻原」を名乗るようになったのだそうです。
麻原は次第に凶暴性を増していき、「力で良い世界をつくる。」、「すべての魂をポアする」と言った教えを説いていましたが、幼い頃から自負心と金への執着がとても強く、うぬぼれているところがあったと周囲の人々は言います。
オウム真理教とは?
https://www.bbc.com/japanese/447337901984年、麻原彰晃はオウム真理教の前身となる「オウムの会」というヨーガ(≒ヨガ)のサークルを
東京・世田谷で立ち上げ、健康を維持・回復したい人が集まる。
やがて麻原の「空中浮遊」がオカルト系雑誌で紹介され、宗教色を増していく。
1987年、「オウム真理教」が誕生、麻原は自らを解脱して超能力を身につけた霊的指導者と称し、若者を中心に信者を増やす。
また、「ダライ・ラマ」を宣伝に利用し(実際は会っただけでオウム真理教を推奨したわけではない)、海外へも積極的に進出した。
地下鉄サリン事件の時点では、信者が1万人以上いたという。
http://theplatnews.com/p=2031
団体は徐々に偏執的な終末思想カルト団体となり、国際戦争により世界は終末に向かい、
オウム真理教の信者のみが生き残れると信じるようになった。
1995年の地下鉄サリン事件以降、オウム真理教は隠れて活動するようになったが、
なくなったわけではなく、最終的には分派して「Aleph」と「ひかりの輪」に改名した。
オウム真理教は米国や他の多くの国でテロ組織に分類されているが、
Alephとひかりの輪は共に日本では違法とはなっていない。
https://www.bbc.com/japanese/44733790
オウム真理教は元はヨガサークルだったというのは意外ですね…実態を詳しく知らない方も多かったかと思います。
80年代では麻原彰晃は様々なメディアに登場し、話題を呼んでいました。
1989年に正式に宗教団体として登録されましたが、当時のオウム真理教はとても強引な勧誘を行なっており、それを問題視した人物がいました。
坂本堤弁護士、彼はオウム真理教を追求、宗教法人の認可取り消しなどを求める民事訴訟の準備に入りましたが、この行動で彼はこの後、大きな事件に巻き込まれてしまいます。
オウム真理教問題に取り組んだ弁護士が死亡、坂本堤弁護士一家殺害事件とは
https://mainichi.jp/graphs/20160920/hpj/00m/040/003000g/17坂本堤弁護士は、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、
1989年5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。
同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。
そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は
「坂本弁護士の活動は、教団からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、
信徒に彼の殺害を命じたとされる。
11月3日、幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・端本悟・中川智正が、
坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、
遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。
このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。
端本が坂本堤に馬乗りになり、岡﨑が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、
中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。
http://jjiikkeenn.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
坂本一家は当時失踪として扱われていましたが、1995年の地下鉄サリン事件が発生した後の捜査でこの事件が発覚。
警察による山中の捜索の結果、坂本さんと妻の遺体が白骨化した状態で発見されたようです。
その数日後には長男の遺体も発見されています。
坂本さんの遺体は歯型から身元が分からないように歯を粉々に砕かれ、埋葬現場で実行犯らが景気づけに食べたタラバガニの殻と一緒に埋葬されていたそうです。
実行犯のうち、村井秀夫は1995年のサリン事件直後に暴力団に刺されて死亡していました。
そのため、裁判では村井を除いた実行犯全員に死刑判決が出ました。