東京、横浜、名古屋2か所と大阪の計5つの「高須クリニック」を経営し、クリニックを象徴する院長としてタレント並みの知名度を誇る高須克弥院長。

自らも実験台として様々な施術に取り組む高須克弥院長の整形前後写真、年収や資産の状況、さらに全身に蔓延しているという癌の状況についてもまとめてみました!

http://blogos.com/article/241844/

高須克弥のプロフィール

https://www.iza.ne.jp/kiji/life/photos/171207/lif17120709340006-p1.html
名前高須克弥
生年月日1945年1月22日(78歳)
出身地愛知県西尾市
職業医師(美容外科・整形外科)、医学博士、昭和大学医学部客員教授、医療法人社団福祉会理事長、高須クリニック院長、浄土真宗僧侶
Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/高須克弥

江戸時代からの医師の家系に生まれた高須克弥院長は、高須クリニックの院長としての活躍以外にも格闘技K-1のリングドクターや浄土真宗僧侶などの顔を持っています。

医療法人社団福祉会理事長であり、国際美容外科学会会長や日本美容外科学会会長も務めていたことがあるなど、立派な功績を多々残している存在です。

美容整形の分野において海外で学んだ最新の美容技術を次々と展開し、脂肪吸引手術や鼻を高くするためのヒアルロン酸注射など今では一般的な施術を初めて日本へ根付かせました。

国内外で多くの技術を特許出願しており6件は商標登録されていたり、日本フリーメイソンのメンバーだったりと、一般層を超えた世界で活躍しています。

 

高須克弥院長の経歴や生い立ちについて

http://gakkenmu.jp/column/9327/

父が41歳で亡くなり、産婦人科医で多忙だった母の代わりに小児科医の祖母のもとで成長した高須克弥院長。
昭和大学医学部を卒業し整形外科医局に所属、大学院医学研究科博士課程を修了して「四肢切断者の幻肢に関する研究」で医学博士を取得すると、西ドイツ・キール大学、イタリア・ボローニャ大学、ローマ大学などに研修留学しました。

1974年に医療法人福祉会高須病院を開設し、ドイツの形成外科技術が日本で導入されていないことを知ると美容外科に転身し1976年に高須クリニックを名古屋市に開設。

1977年に出版した著書の「危ない美容法」が大ヒットしベストセラーとなると「美容整形の専門家」としてTV出演が急増し、高須クリニックの印象的なCMで確固たる知名度を確立しました。

 

高須克弥院長の年収や資産は?

http://www.officiallyjd.com/archives/646542/20170822_kandauno_36/

「年収は50億円」とも言われる高須克弥院長は、アメリカン・エキスプレスのセンチュリオンカード(ブラックカード)を持ち、著作の印税収入やブログの広告収入、テレビバラエティへの出演料などを入れると相当な収入があると噂されています。

90年代初頭のバブル崩壊で100億円にもなる負債を抱えながらも10年間で完済し、再び富裕層といえる所得を得るまでに経営を復活させるなど素晴らしい手腕が輝いています。

1998年には高須病院の関連組織である老人保健施設や訪問介護の事業で介護福祉分野にも参入し、現在の総資産は140億円とも言われています。

自身の知名度や70代を超えるとは思えない発信力、PR力が功を奏し、高須クリニックの経営は現在も順調に続いているようです。

 

高須克弥院長の整形前後の比較写真とは

https://watchtvprogram.blog.fc2.com/blog-entry-644.html

新技術は自分の顔で効果や手技を検討し「手術や薬剤の安全性を試す」ことをポリシーとしている高須克弥院長は、御年73歳を迎える現在も若々しく垢抜けた印象を維持しています。

バラエティ番組で披露した整形前後の写真を見ても証明されており、10億円以上かけて全身整形をしていると言われています。

自身に施術した医療手術は400回以上にもなるといい、皺取りの手術では「私自身の若返り」・「高須の若返り」として世界12カ国以上の形成外科学会や美容外科学会で講演もしています。

日本国内で「ヒアルロン酸」「ボトックス」をはじめとする「プチ整形」が定着したのも、高須克弥院長の自身を実験台とした努力の結晶といえます。

 

高須克弥院長の癌の症状やステージは?