若干23歳ながら、日本代表として多くの活躍記録を残しているプロサッカー選手の中島翔哉さん。
今回は日本代表の落選理由となったポリバレント性ついて、同級生の俳優・竹内涼真さんとの交流やモデルのお嫁さんについてもまとめてみました!
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目次
中島翔哉のプロフィール
http://xn--fc-n92cn98g.com/938.html名前 | 中島翔哉 |
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生年月日 | 1994年8月23日(30歳) |
出身地 | 東京都八王子市 |
職業 | サッカー選手 |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/中島翔哉 |
東京ヴェルディ、カターレ富山、FC東京、そしてポルトガルのポルティモネンセと、行く先々のチームで輝かしい功績を残してきた中島翔哉さん。
その活躍ぶりから、生まれ故郷の東京都八王子市では、市制100周年の100年応援団団員に任命されるなど、サッカー以外の場所でも評価を受けています。
自身の誕生日が8月23日であることから、数字の「23」が好きだという中島翔哉さん。
39番だった背番号を、2017年より23番へ変更し、ポルトガルのポルティモネンセでも同番号を着用しています。
中島翔哉の経歴や生い立ちについて
https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20180324/733067.html
6歳の時に両親が離婚し、母子家庭で育ちながらも、同時にサッカーを始めた中島翔哉さん。フットサルと2つのサッカー教室をかけもちし、その才能を伸ばしていきました。
2010年に東京都選抜として国体優勝、2011年にクラブユース選手権連覇&ベストヤングプレーヤー受賞と、メキメキと頭角を現していきます。
2012年に東京ヴェルディに所属したものの、あまり出場が見込めなかったことでFC東京へ移籍し、同時に才能を買われてカターレ富山に限定移籍。
2014年にFC東京へ復帰して多くの貢献を残し、現在は2018年6月30日までの期限付き移籍という形でポルトガルのポルティモネンセで活躍しています。
中島翔哉は竹内涼真と同僚だった
http://sakarabu.blog.jp/archives/2961256.html
現在人気爆発中の若手俳優・竹内涼真さん。数々のインタビューで「本気でサッカー選手を目指していた」と語っている竹内涼真さんですが、東京Vユース時代に中島翔哉さんと同僚だったそうです。
ひとつ年下だった中島翔哉さんのことを、竹内涼真さんは「非常にハートが強い選手」と大絶賛しています。
先輩という存在だった竹内涼真さんにも食って掛かるほどの情熱をみなぎらせていた中島翔哉さんですが、その実力や自分への厳しい姿勢などから、誰も文句は言わなかったといいます。
そんな竹内涼真さんと中島翔哉さんの関係ですが、竹内涼真さんは「先輩らしいことは恋愛相談に乗ってあげたこと(笑)」とコメントしています。
中島翔哉の落選理由「ポリバレント性」とは
https://www.jsgoal.jp/photo/n-00024401/
5月18日に行われたワールドカップ・ロシア大会壮行試合ガーナ戦の日本代表メンバー発表会見にて、27人の選考メンバーから外れてしまった中島翔哉さん。
西野朗監督は、代表デビュー戦で得点を決めながらも落選となった中島翔哉さんの理由について「選抜メンバーの方がより成果を出している。ポルトガルでの活躍も見ながらも、ポリバレント性に欠ける部分がある」と説明しました。
ポリバレント性とは、科学において「多価」を意味する「ポリバレント」から来ている言葉。
2007年に日本代表監督を務めたイビチャ・オシム監督が「多くのポジションをこなせる選手」という意味で使用したことから定番化した言葉です。