菊地直子被告が無罪判決を受けたことが大きな話題となっているようです。
菊地直子被告の現在についてや、オウム真理教事件で走る爆弾娘と呼ばれた理由、最高裁の判決理由や愛人の噂などについてまとめてみました!
目次
菊地直子のプロフィール
http://www.jprime.jp/articles/-/6498本名 | 菊地直子(きくちなおこ) |
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生年月日 | 1971年12月9日(46歳) |
出身地 | 埼玉県 |
宗教 | 元オウム真理教信徒 |
教団での役職 | 第二厚生省 |
関係事件 | 東京都庁小包爆弾事件 |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/菊地直子 |
埼玉県で生まれた菊地直子被告は小さい頃から父親の仕事の都合で住居を転々としていたそう。一番長く暮らしたのが大阪で、運動神経が抜群だった菊地直子被告は高校では陸上部に所属し、長距離走を得意としていたそうです。
菊地直子被告がオウム真理教と出会ったのは両親との関係が悪化していた高校卒業後の18歳のときのこと。家族の反対を押し切って入信し、麻原彰晃の著作中で指摘される神秘体験を経験したことがきっかけだったそうです。
菊地直子が「走る爆弾娘」と呼ばれた理由
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-8919.htmlそして当時の日本を震撼させたオウム真理教の中でも比較的知名度があった菊地直子にマスコミも注目した。
1995年4月19日〜4月25日の5回にわたり、山梨県上九一色村の施設から東京都八王子市のアジトに爆発物の原料となる薬品類の運搬をしたとされ、この頃から「走る爆弾娘・菊地直子」というレッテルを貼られる。
警察も当時は片っ端からオウム真理教の信者を軽微な罪にも逮捕しまくっていた。
https://librosdelsilencio.com/
菊地直子被告はオウム真理教の信者に対する世間の厳しい目やマスコミの過激な報道から、東京都庁小包爆弾事件の薬品を運搬したことを理由に「走る爆弾娘」というあだ名まで付けられました。
しかし、警察の懸命な捜査も虚しく、菊地直子被告は17年間もの長い期間に渡って逃亡しました。
菊地直子の罪は?
https://blogs.yahoo.co.jp/tarxbs/22891242.html菊地被告は、1995年の都庁郵便物爆発事件で、殺人未遂ほう助の罪に問われ、1審で懲役5年、2審で逆転無罪判決を受け、検察側が上告していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171227-00023837-houdouk-soci
菊地直子被告の問われていた罪は殺人未遂幇助罪という殺人未遂事件の手助けとなる行為をしたというもの。1審では懲役5年が言い渡されるなど、菊地直子被告の罪は有罪が確定すれば実刑判決が下るほどのものでした。
菊地直子に無罪判決
http://gossip1.net/archives/1046123699.htmlオウム真理教が1995年に起こした東京都庁郵便小包爆発事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人未遂幇助(ほうじょ)などの罪に問われた菊地直子・元信徒(46)を逆転無罪とした二審・東京高裁判決が確定する。最高裁第一小法廷(池上政幸裁判長)が、25日付の決定で検察側の上告を棄却した。
https://www.asahi.com/articles/ASKDC5S4HKDCUTIL04N.html
2017年12月28日、1審判決を逆転して無罪とした2審判決に対する検察側の上告が棄却されました。この上告の棄却によって地下鉄サリン事件に関与した人物の判決の残りは高橋克也被告の判決のみとなったそう。
1990年代を代表する事件に関わる人物の無罪判決には大きな注目が集まりました。
菊地直子被告が無罪となった理由は、
https://www.asahi.com/articles/ASKDC5S4HKDCUTIL04N.html
という理由のようです。
菊地直子被告のコメント
菊地元信者は「最高裁の決定でも事実関係をきちんと見ていただき、深く感謝申し上げる。無罪が確定することとなり、素直にありがたく受け止めたい」。そのうえで「自分の行為が何の落ち度も責任もない方に重篤な被害を与えたことにつながってしまった。そのことをこれからの人生で重く受け止めていくことに変わりはない。本当に申し訳ありませんでした」としている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25163400X21C17A2000000/