リアクション芸人が多くいる中で「キレ芸」という新しいジャンルで徐々に人気を得て、現在では俳優やコメンテーターとして幅広く活躍されているカンニング竹山さん。
私生活では長年付き合っていた2歳年上の嫁・淳子さんと結婚しましたが、お2人の間に子供はいるのでしょうか。
今回はカンニング竹山さんの嫁との馴れ初めや結婚、子供などについてまとめてみました。
http://iropel0103.com/geino/geinin/kanningutakeyama/目次
カンニング竹山のプロフィール
https://kszend.info/?p=1897本名 | 竹山隆範(たけやまたかのり) |
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ニックネーム | 竹山部長・竹ちゃんなど |
生年月日 | 1971年4月2日(53歳) |
出身地 | 福岡県 |
職業 | お笑いタレント・俳優・漫才師・コメンテーター |
身長 | 168cm |
血液型 | O型 |
事務所 | サンミュージックプロダクション |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/カンニング竹山 |
カンニング竹山の生い立ちや経歴
https://twitter.com/takeyama0330/status/701565873882935297大学を卒業して、お笑い芸人になろうと決めていたカンニング竹山さん。ですが、大学受験に合格できなかった為、地元の福岡に残り予備校に通っていました。
1990年に小学校の同級生だった“ケン坊田中さん”とお笑いコンビ『ター坊ケン坊』を結成。
同年4月に開催されたテレビ西日本のオーディション番組『第1回激辛!?お笑いめんたい子』で優勝し、福岡吉本第1期生として所属する事になりました。
ですが、カンニング竹山さんは「福岡で売れても意味が無い」と約1年で福岡吉本を辞め、上京。
東京で小学時代の同級生である故・中島忠幸さんと再会し、1992年にコンビ『カンニング』を結成しました。
https://miima.jp/49382004年にお笑い番組『エンタの神様』に初出演したものの、行き過ぎた言動に“強制退場”させられています。当時、番組にはクレームや苦情が殺到したとか。
3度目の出演で相方に説教され、土下座して謝罪しました。
その後『キレ芸・リアクション芸人』として人気が出るようになり、現在では様々なジャンルで活動されています。
カンニング竹山に子供はいる?
https://journal.anabuki-style.com/child-care-environment ※画像はイメージです。2007年に結婚されたカンニング竹山さんには、子供はいらっしゃいません。
結婚された時にカンニング竹山さんは36歳、嫁は2歳年上という事で年齢的なものがあったのかもしれません。一部ネット上では“子供を作らなかった”という噂が流れています。
カンニング竹山さんは、幼少期からとても苦労してきたそう。父親の経営する会社が倒産したり、父親が遺した13億円という借金を抱えた時期もありました。
キレ芸として世間から認識されているカンニング竹山さんですが、本来はとても正義感が強く真面目な性格だとか。
自身の体験から、自分の子供に同じ思いをさせたくないと思っていたそうです。そんな事もあり、子作りをしなかったとも言われています。
カンニング竹山の結婚は相方の死後だった
https://www.youtube.com/watch?v=aKqd_lMojok今年1月の会見では
「今年中には結婚するつもり。ハデ婚はせず、ひっそりやります」
と公言していたカンニングの竹山隆範が、
兼ねてより交際中だった女性と入籍していたことがわかった。
自身のラジオ番組『JUNK2 カンニング竹山 生はダメラジオ』(TBSラジオ)の生放送で語ったもので、
これまでに10数年間、同棲を続けてきた彼女との入籍を伝えた。
相方であり急性リンパ球性白血病を患っていた中島忠幸さん(昨年12月に逝去)が闘病中だったことから、
これまで「そんな時期に(結婚)できるわけないだろ」と話していたが、
中島さんの49日も過ぎたことから今回の入籍を決意した。
https://web.archive.org/web/20070330024624/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070330-00000003-oric-ent
お笑いコンビ『カンニング』は、1992年に結成されました。
小学校の同級生だったお2人ですが、2004年12月に相方の故・中島忠幸さんが“急性リンパ球性白血病”の為、しばらくピンで活動していたカンニング竹山さん。しかし、2006年12月20日にお亡くなりになられました。
カンニング竹山さんは長年付き合っていた嫁と中々『結婚』に踏み切れなかったそう。
自身の育ってきた家庭環境も影響していたそうですが、相方である故・中島忠幸さんが闘病中という事で『結婚は考えられなかった』と話しています。
ですが、若い時から支えてくれた彼女の為に、故・中島忠幸さんの49日が過ぎた所で入籍をしました。