数多くのバラエティ番組の中で「伝説」と呼ばれているのが、TBSで大人気だった「ガチンコファイトクラブ」です。荒れている不良が集まり、コーチを務めた竹原慎二さんと共にプロボクサーを目指すという内容でした。
しかし、毎回起こる乱闘などについて「やらせ」だという噂が流れるようになったようです。
今回はガチンコファイトクラブのやらせの証拠や卒業生の現在などについてまとめてみました。
http://www.livenan.com/archives/4902617.html目次
ガチンコファイトクラブとは
https://blogs.yahoo.co.jp/kinkin0705kin/41530199.html番組名 | ガチンコ! |
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放送期間 | 1999年4月13日-2003年7月29日 |
放送時間 | 毎週火曜 21:00~21:54 |
出演者 | TOKIO・高田純次・さとう珠緒 |
放送局 | TBS |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/ガチンコ! |
「ガチンコ!」は、1994年にCDデビューを果たし当時若手アイドルだった「TOKIO」が司会を務めていました。
様々な社会問題に体当たりしたり、職人やプロをスパルタ養成するバラエティ番組でもあり、リアリティ番組でもあります。
「どっきり」や「ダイエット」などの企画がある中、番組の人気を急上昇させた企画が「ガチンコファイトクラブ」でした。番組のメイン企画であり、最多の5シーズンに渡って放送されました。
高視聴率番組ではあったものの、苦情や「やらせ問題」もあり視聴率が低下。リニューアル後も視聴率は変わらず、2003年7月29日に番組は終了しました。
ガチンコファイトクラブ卒業生の現在
https://lemon-like.info/posts/812ガチンコファイトクラブの見所は「やんちゃ」だった不良少年達が「乱闘」しながらも、心身共に成長し「プロボクサー」を目指す姿でした。
シーズン1~5まで続いた企画ですが、それぞれ「リーダー的存在」の人気メンバーがいたようです。
そんなガチンコファイトクラブ卒業生の現在・卒業後の活動をまとめてみました。
ガチンコファイトクラブ卒業生①・網野泰寛
https://www.hachi8.me/the-ultimate-goal-the-actual-situation-of-the-gachinko-fight-club/ガチンコファイトクラブの第一期生として登場し、幾度となくコーチである竹原慎二さんと衝突していたのが、網野泰寛さんです。
網野泰寛さんは「やんちゃ」な風貌とは裏腹に、実は「秀才」だったとか。生まれは日本ですが、幼少期からドイツで過ごしていたそうです。
習い事も沢山しており、ピアノはコンクールに出場する程の実力で優勝したり、サッカーではプロ予備軍に所属していたそう。
日本に戻ってからは、進学校へ通い「立教大学法学部」に入学しています。大学在学中に「ガチンコファイトクラブ」への出演が決まり、ボクサーのプロテストを受けましたが、合格はできませんでした。
http://www.livenan.com/archives/4902617.html卒業後は、2006年に株式会社「ONIMA」を設立。実業家として活動している他、CDデビューをしたり、YouTube「ガチプロファイトクラブ」を放送中だとか。 また、フラワーデザイナーなど色んな分野で活躍しているようです。
ガチンコファイトクラブ卒業生②・藤野大作
http://donsok.com/archives/25978438.html藤野大作さんは、ガチンコファイトクラブの第二期生として出演。福岡出身の藤野大作さんは、顔が似ている事で「玄海のマイク・タイソン」と呼ばれていました。
藤野大作さんは「ガチンコファイトクラブ」卒業後の2001年に「プロテスト」に合格し、翌年2月5日にデビューを果たしました。
しかし、2004年8月25日に行われた試合でボクサー人生を大きく変えたそう。
第1ラウンドで強烈な左ストレートを顎に受けKO負け。そのまま病院に担ぎ込まれ「頚椎損傷で四肢麻痺」の診断を受けました。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/227947「リングで死ねたら本望」と思っていたそうですが、手足が動かせない状況を中々受け入れられず「死にたい」と毎日泣いていたそうです。
そんな中、コーチだった竹原慎二さんから「絶対治る!」と励ましの電話をもらったとか。その言葉を励みにリハビリをして、1年後には日常生活ができる程回復したそうです。
その後、福岡に戻り「アルバイト」をしながら学校へ通い、整骨院を開業しています。
ガチンコファイトクラブ卒業生③・山中司
http://forall-boxing.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/3_aa78.html山中司さんは、第三期生として「ガチンコファイトクラブ」に出演していました。幼少期から施設で育ち「自分を捨てた両親を見返したい」という理由で応募したとか。
同じ三期生の仲間やコーチの竹原慎二さん、TOKIOとも衝突する「問題児」として放送されていました。しかし、反抗的な態度とは別に、誰よりも真面目にボクシングに打ち込む姿が印象的だったそうです。
見事プロテストに合格し、2003年3月31日にプロデビューを果たしました。その後「7戦5勝(3KO)2敗」という好成績を残しています。
http://forall-boxing.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/3_aa78.html現在は、結婚しお子さんもいるとか。自身で飼っている柴犬の子犬を「和風総本家」の「豆助オーディション」に参加させたりしています。
ボクシングジムに現在も所属しているかは不明のようで、現在のお仕事も詳しくは分かっていません。
ですが、2013年から始めたブログTOPには、山中司さんが思う「生き方」が掲載されています。
何をして生きようと 問題では無い
人生 何に向かって何の為に歩むかが問題であって
僕は自分の価値観で生きてますし
色々な事を他人に言われてるのは知ってるけど
それによって
僕の生き方や価値観を変えるつもりはありません
例え …
その事によって
誰からも好かれなくとも構わないと思ってます!
https://profile.ameba.jp/ameba/tsukasay1102
ガチンコファイトクラブ卒業生④・斉藤一平
https://tachibanaya-ph.co.jp/1511/ファイトクラブの2期生だった斉藤一平さん。素人だったにも関わらず、たった3ヵ月で「プロボクシングライセンス」を取得しています。
プロボクサーになった後も、「ガチンコファイトクラブ」には最後のシーズンまで「OB」として出演。出演中は候補生との衝突もありました。
そんな斉藤一平さんは、2003年にボクシングを引退し「北区つかこうへい劇団」に入団。俳優として活動するようになりました。
https://office-morimoto.com/actor/ippei_saito/2007年には映画「SF忍者」で初主演を務め、同年に放送されたドラマ「おかわり飯蔵」では初のレギュラー出演を果たしました。
その後、俳優や声優として活躍しており、2016年にはライザップのCMモニターに選ばれています。