名前 | 徳光和夫(とくみつかずお) |
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愛称 | 徳さん |
生年月日 | 1941年03月03日(83歳) |
出身地 | 東京都 |
職業 | フリーアナウンサー・タレント・司会者など |
職歴 | 元日本テレビアナウンサー |
事務所 | オフィス ラ・メール |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/徳光和夫 |
趣味が野球観戦だった徳光和夫さん。高校生の時に当時大学生だった長嶋茂雄さんの野球を見て感化され「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意したそうです。
長嶋茂雄さんと同じ立教大学を受験し合格。その後、進路に迷っていた頃に友人から「アナウンサーになれば?」とアドバイスされ、1963年に日本テレビに入社しました。
長嶋茂雄さんが巨人に入団した事で熱狂的な巨人ファンだった徳光和夫さんは“野球中継”がやりたかったそうですが、担当は“プロレス中継”になったそうです。
ですが、持ち前のアナウンス力でアナウンサーとして人気を得ていきました。
https://twitter.com/yueni3/status/10880407812002529281989年にフリーアナウンサーに転向しましたが、涙もろい愛されキャラでその後も様々な番組に出演しています。
1978年から始まった『24時間テレビ』には唯一第1回目の放送から出演し続けている徳光和夫さん。
そんな徳光和夫さんが年収ランキング第5位となり、推定でおよそ2億4,000万円と言われています。
名前 | 小倉智昭(おぐらともあき) |
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愛称 | オグさん |
生年月日 | 1947年05月25日(77歳) |
出身地 | 秋田県 |
職業 | フリーアナウンサー・タレント・司会者など |
職歴 | 時事通信社社会部記者→テレビ東京アナウンサー→フリーアナウンサー |
事務所 | オールラウンド |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/小倉智昭 |
スポーツが大好きだったそうで、中学生から大学2年生までは陸上部で活躍していたそうです。それと同時にバンド活動もしており、ボーカルとベースを担当していました。
ですが、幼い頃から言葉が円滑に話せない“吃音症”に悩んでいたそうで、きちんと喋れるように克服したいと思い、アナウンサーを志すようになったとか。
東京12チャンネル、現在のテレビ東京に入社。当時競馬に詳しかった事もあり、競馬実況のアナウンサーを担当していました。
実況アナウンサーとして人気を得ていたものの、上層部と衝突するようになったそうです。
そんな時、タレントや評論家などで活躍していた大橋巨泉さんにスカウトされ、テレビ東京を退職。フリーアナウンサーとして活動していく事になりました。
https://matome.naver.jp/odai/2144868507498229401/2145467133401297503フリー転向後、すぐには仕事に恵まれなかったとか。その後、軽快なナレーションが評判になり“七色の声を持つナレーター”と評されました。
1999年4月からは情報番組『とくダネ!』のメイン司会者となり、2019年には20周年を迎え、現在も朝の情報番組として人気を得ています。
司会者として長く活躍されている小倉智昭さんの年収は、推定でおよそ3億円と言われています。
名前 | 宮根誠司(みやねせいじ) |
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生年月日 | 1963年04月27日(61歳) |
出身地 | 島根県 |
職業 | フリーアナウンサー・タレント・司会者 |
職歴 | 元朝日放送アナウンサー |
事務所 | テイクオフ |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/宮根誠司 |
関西大学経済学部を卒業後、1987年朝日放送に入社しました。アナウンサーを目指していた訳ではなかったそうですが、面接でのトークが評価され採用されたとか。
入社後すぐには担当番組が中々もらえなかったそうです。しかし、代打で出演した情報番組『おはよう朝日です』に出演した事がきっかけとなり、同番組のリポーターを務める事になりました。
その後、同番組で1994年から単独でのメインキャスターになっています。
https://www.oricon.co.jp/news/2076045/photo/1/2004年3月に朝日放送を退職し、フリーに転身。フリーに転身した後も、引き続き『おはよう朝です』に出演。
その他にもレギュラー番組を多く持ち、読売テレビのレギュラー番組『ミヤネ屋』が全国放送となり、一気に知名度が上がったそうです。
現在も多くのレギュラー本数を抱えている宮根誠司さん。現在の推定年収はおよそ3億円と言われています。
本名 | 御法川法男(みのりかわのりお) |
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愛称 | みのさん・みのちゃん |
生年月日 | 1944年08月22日(80歳) |
出身地 | 東京都 |
職業 | フリーアナウンサー・タレント・司会者・実業家 |
職歴 | 元文化放送アナウンサー |
事務所 | ニッコク |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/みのもんた |
幼少期は親戚が芝居をしており、交友関係の一人だった俳優・故森繫久彌さんから映画などのチケットを貰う事が多かった為、お芝居に興味を持っていたそうです。
その後、立教大学経済学部へ進学。この時、先輩だったフリーアナウンサー・徳光和夫さんに“アナウンサー”を勧められ、大学卒業後の1967年に文化放送へ入社しました。
入社して2年程研修を行っており、ニュース原稿をラジオ用に書き換えるという作業をしていたそうですが、当時のアナウンス部長から「ニュースは向いていない」と言われていたとか。
その後、『オールナイトニッポン』など深夜のラジオ番組がブームとなり、文化放送の『セイ!ヤング』の初代パーソナリティーを務めました。
https://twitter.com/hashtag/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%84%E3%83%83%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93?lang=ca1979年9月に文化放送を退社し、父親が経営する会社に入社。約10年間営業マンとして働いていたそうです。営業の傍らで声の仕事も続けており、少しずつ認知されるようになりました。
1989年4月から2004年2月まで、お昼の情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会に抜擢。全国区の司会者として人気になりました。
現在は以前に比べるとレギュラー本数は減っていますが、実業家でもあるみのもんたさんの推定年収はおよそ4億8,000万円と言われています。
名前 | 古舘伊知郎(ふるたちいちろう) |
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愛称 | いっちゃん |
生年月日 | 1954年12月07日(69歳) |
出身地 | 東京都 |
職業 | フリーアナウンサー・タレント・司会者 |
職歴 | 元テレビ朝日アナウンサー |
事務所 | 古舘プロジェクト |
Wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/古舘伊知郎 |
1977年に立教大学経済学部経営学科を卒業後、現在のテレビ朝日にアナウンサーとして入社しました。
元々、同じ大学の先輩だったフリーアナウンサーの徳光和夫さんやみのもんたさんに憧れてアナウンサーになったそうです。
入社して半年後、プロレスの実況アナウンサーに抜擢され、ユーモアのある実況が人気となりました。
https://www.sankei.com/entertainments/news/160401/ent1604010002-n1.html1984年6月にテレビ朝日を退社し、友人と芸能事務所を立ち上げ、フリーアナウンサーに転向。実況だけでなく、テレビ番組や俳優として幅広く活動しています。
2004年4月には『報道ステーション』の初代メインキャスターに就任。降板まで約12年間務めました。
その後も自身がメインの番組や俳優業などマルチに活躍されており、推定年収はおよそ6億5,000万円と言われています。
まとめ
今回は男性アナウンサーの年収ランキングをご覧いただきました。
実際にテレビ局に勤めているアナウンサーとフリーアナウンサーとでは年収が倍以上違うそうで、更に経験や人気なども合わせると年収は更にアップすると言われているようです。
今現在、人気のあるテレビ局のアナウンサーも次々とフリーに転向されているので、ランキングは今後大きく入れ替わるかもしれませんね。