はじめに
2017年12月1日に放送された「爆報THEフライデー」で天城山心中事件が特集されました。この記事では1957年に伊豆半島の天城山で2人の学生である愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)と大久保武道が起こした純愛を貫いたとも言われている天城山心中事件の真相やネット上の反応をまとめています。
TOP画像引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/49053462.html新着記事
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目次
天城山心中事件(あまぎさんしんじゅうじけん)とは?
http://route4osor.exblog.jp/12438786/天城山心中(あまぎさん しんじゅう)とは、1957年12月10日に、伊豆半島の天城山において、4日前から行方不明となり捜索されていた学習院大学の男子学生の大久保武道(当時20歳)と、同級生女子の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい:当時19歳)の2名が、大久保の所持していた拳銃で頭部を撃ち抜いた状態の死体で発見された。当時のマスコミ等で「天国に結ぶ恋」として報道された事件。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天城山心中
天城山心中事件とは1957年12月10日に、伊豆半島の天城山にて行方不明で捜索願いが出されていた学習院大学の大久保武道(当時20歳)と、同級生女子の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)の2名が遺体で発見された事件です。 当時この事件では男女の交際関係について大きく波紋を呼び、マスコミでも大きく取り上げた為話題になったようです。
天城山心中事件の経緯
http://23.pro.tok2.com/~freehand2/rekishi/amgishinju.html大久保武道と愛新覚羅慧生の出会い
1956年、4月。大久保武道と愛新覚羅慧生は、それぞれ学習院大学文学部国文学科に入学した。
大久保は青森県八戸市出身で、父親は南部鉄道役員を務め、八戸の漁具問屋の経営も行う裕福な家庭で育ち、大学入学を機に上京した。
一方、慧生は、幼少期を満州国で過ごした後、母:浩の実家である旧侯爵嵯峨家で育ち、初等科から学習院女子中等科、同高等科を経て同大学文学部国文科に入学し、初等科卒業以来、初めて男子と同じクラスになる。
6月下旬、大久保は初めて慧生と2人で会話をして身の上を聞き、自宅まで送った。この時、大久保の他の学習院生とあまりに異なる風体に慧生の家族の反応は厳しく、慧生は大久保の自宅への来訪を禁じ、次々送られてくる手紙も一方的なものであると家族に説明していた。
11月30日、元々身体の弱い慧生が体調を崩して大学を休むと、自宅の嵯峨家に大久保が見舞いに訪れる。病気であるからと家族に面会を断られても、通された応接室から1日動こうとしない大久保の極端な行動に、特に慧生の祖母が警戒し、彼との交際を厳しく禁じた。
12月に入るとに大久保は慧生への思いを断つべく実家に帰省し、断髪して座禅を組み断食修行を行った。絶縁状を受け取った慧生は毎日のように大久保に手紙を送り、体調を崩した事で冷静さを失い、揺れていた気持ちが一気に傾くことになる。
慧生の手紙を見て喜んだ大久保は東京に戻って嵯峨家を訪れ、再び面会を断られて犬に吠えられ一筆書いたのみで帰っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天城山心中
大久保武道と愛新覚羅慧生の婚約
年が明けた1957年2月、2人は蕎麦屋で長時間語り合った後、「婚約」を決める。しかしその後、冷静さを取り戻した慧生は友人達の猛反対にもあい、何度か大久保に「婚約解消」を持ち出すが、その度に彼が自暴自棄になって解消は立ち消えになるという事を繰り返した。
慧生は家族に交際を知られないよう、大久保との手紙のやり取りを友人の名前で作った封筒で行うなど行動に細かくルールを取り決めていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天城山心中
大久保武道と愛新覚羅慧生の失踪・最期
12月4日の朝、慧生は普段通りに大学へ向かい、午前中には学生達から姿を目撃されている。午後7時頃、慧生が自宅に戻らない事から、家族が関係各所に電話をかけはじめる。
12月5日、穂積の元に慧生からの最後の手紙が届く。大久保と同室の寮生から、2日前に身辺整理をしていた事、伊豆の地図を見ていた証言が出る。また秋には大久保が1人で伊豆へ旅行していた事も確認される。
12月6日、朝から寮生たちが伊豆方面に捜索に出る。
12月9日、伊豆に残った学生らが樹木の古株の中で着替えや靴などの遺留品を発見。
12月10日、午前9時半頃、天城山頂トンネル入り口から八丁池へ登るコースを登った雑木林の中で、地元消防団員が2人の遺体を発見。百日紅の木の下に2人が並んで横たわっていたとするが、近年になって遺体の第一発見者が、慧生は木の根元に凭れかかるようにして死んでおり、2人は別々に横たわっていたとする証言もある。
凶器になった銃は大久保の右手に握られていた。慧生の遺体は左こめかみに銃弾の穴があり、右利きの彼女は明らかに撃たれて死亡しており、右頬には銃弾が掠めたような深くえぐられた傷跡があった。
死亡診断書には「他殺。銃弾による頭部貫通」と記された。大久保が実家から持ち出した銃は、父親が満州で憲兵をしていた時代のものだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天城山心中
愛新覚羅慧生の最後の手紙
慧生は最後の手紙を4日の午前8時頃に学生寮の穂積宛に記し、その日の午後に投函したと見られる。
なにも残さないつもりでしたが、先生(穂積)には気がすまないので筆をとりました。大久保さんからいろいろ彼自身の悩みと生きている価値がないということをたびたび聞き、私はそれを思い止まるよう何回も話しました。二日の日も長い間大久保さんの話を聞いて私が今まで考えていたことが不純で大久保さんの考えの方が正しいという結論に達しました。
それでも私は何とかして大久保さんの気持を変えようと思い先生にお電話しましたが、おカゼで寝ていらっしゃるとのことでお話できませんでした。
私が大久保さんと一緒に行動をとるのは彼に強要されたからではありません。また私と大久保さんのお付き合いの破綻やイザコザでこうなったのではありませんが、一般の人にはおそらく理解していただけないと思います。両親、諸先生、お友達の方々を思うと何とも耐えられない気持です
https://ja.wikipedia.org/wiki/天城山心中
この天城山心中事件をマスコミはこぞって報道し、”純愛心中”や”天国に結ぶ恋”として扱われました。しかし一方では、大久保武道の”ストーカー殺人”ではないかと言う声が挙がっていた事実もあるそうです。
その後、同事件は「天城山中 天国へ結ぶ恋」というタイトルで映画化。身分の違う二人がお互いに惹かれ合って許されない恋の末に心中、といったストーリーになるのでしょうか。