第62回有馬記念を見事制したのは武豊選手が手綱を握るキタサンブラック。そんなキタサンブラックがデビュー時に手綱を握っていたのが故・後藤浩輝さんという騎手でした。故・後藤浩輝さんは周囲の期待とは裏腹に2015年に自らの命を絶ってしまいます。今回は故・後藤浩輝さんの自殺の原因や真相について迫ります!

http://biz-journal.jp/images/gotouhiroki0226.jpg

後藤浩輝さんのプロフィール

http://butterflyjournal.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_a31/butterflyjournal/264801077_c2caec19e6_20120201194012.jpg
本名後藤浩輝
生年月日1974年3月19日
出身地神奈川県相模原市
職業元騎手、タレント
所属団体JRA(2015年時点)
事務所オスカープロモーション(2015年時点)
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/後藤浩輝

母親のすすめで騎手の道へ進むことにした後藤浩輝さん。幼いころから運動神経がよく、騎手としての素質があったようです。進路を考え始めた際に、料理好きを生かし料理人への道を歩もうとしましたが、母親の助言で競馬学校に進路を決めています。

 

後藤浩輝さんの経歴について

http://number.ismcdn.jp/mwimgs/2/6/-/img_2604b1b01b7ecbd5f4328dccce830f99214179.jpg

デビューした1992年に初勝利を飾った後藤浩輝さん。その後、1997年にはNHKマイルカップでGIデビューをし、その後、2002年の安田記念でGI初勝利を果たします。通算で1447もの勝利数を残しましたが、一方で、スポーツ番組を中心としたタレント活動をするなどマルチに活躍されていました。

 

武豊が後藤浩輝さんにキタサンブラックの有馬勝利を報告

http://biz-journal.jp/images/1219kitasannbla_02.jpg

第62回有馬記念で勝利を収めた武豊騎手。武豊選手が乗馬したキタサンブラックはこのレースで現役を引退することになっていました。武豊選手はレース後に拳を空に突き上げ、キタサンブラックのデビュー戦で乗馬した後藤浩輝さんに向けて勝利を報告しています。

 

後藤浩輝さんの首つり自殺について

http://xn--f4s74ihyoh0xlhk.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_61a/xn--f4s74ihyoh0xlhk/E5BE8CE897A4E6B5A9E8BC9DE5AD90E4BE9B-2c25e.jpg

周囲に衝撃が走った後藤浩輝さんの突然の死。2015年、茨城県にある自宅の脱衣所で、首を吊り帰らぬ人となった姿を奥さんに発見されました。遺書はなかったものの、現場状況から事件に巻き込まれたという可能性が低いと警察が判断し、自殺として扱われています。

 

後藤浩輝さんが亡くなった死因や事件の真相について